遍く旅路に光あれ

キラキラあなたがまぶしくて

蜘蛛の糸〜クモの糸

文豪少年!〜ジャニーズJr.で名作を読み解いた〜、ついに第1話が放送された。

発表からすごくはやく感じて もう!?!?って感じだけどこのはじまりにドキドキとワクワクが止まらない。元木ワクワク。

1話は芥川龍之介の『蜘蛛の糸』から『クモの糸』。

発表されたとき原作を読むかぎり『蜘蛛の糸』は心の準備が必要だなと思ってたのに、そんなこと完全に忘れて見てたら本当に怖くてトラウマになりそうだった。

見終わったあと分からないことが多くて、すごく考えたけどそれでも分からなくて、いろいろフォロワーと話して(ありがとう)ドラマを繰り返し見て私なりに解釈したのでその備忘録的な感じでブログ書きます。というかツイートしたやつのまとめみたいな感じです。




まず結論から言うと、神田くんは猫にされて死んで(殺されて?)そのまま猫塚に埋められた。多分猫塚の上にある石はこれまで埋めてきた少年たちの数で。蓮池は古代エジプトの話として猫が死んだらミイラにされてその脂肪が薬として使われてたって話してるけど、蓮池自身が猫(少年)をミイラにしてそれを薬として飲んでる。

薬として飲むことで長生きできるから神田くんとの最後の場面で「でもまあ、少なくとも俺たちの役には立つけどな」って神田くんに伝えてる。そのときの神田くんは何か伝えようと、話そうとしてるけど声が出ない。もうこの時点で猫にされかけてて、だからこの場面の最後に聞こえるニャーっていう鳴き声は神田くんが何か伝えようとしている声。あのぱくぱくしてる口から出た最後の声がニャー。

で、問題の最後の場面。蓮池がクモに向かって「俺たち」って何回も言ってるからクモと蓮池は本当の猫。最初の場面でも蓮池の瞳の色が変わるって噂されてるのと、はじめて神田くんが外に出たときに蓮池がニャーオって鳴いてるからほぼ確実に蓮池は猫なんだろうな。あの場面は猫になった神田くんを埋めてるところ。

ずっと人間の愚かさを見てきたからこそ「俺たちがこうやって長生きしてるっていうのは悲しいことかもな」って多分クモの言葉が分かるから会話してて。本当は長生きしたくて少年たちを猫にしてミイラにして薬にしてるわけではなく、蓮池たち自身もいつか打ち切りたいって思ってるんじゃないかなと思う。

あと蓮池は「俺はクモが認めたやつのことは一度は信用することにしてるんだ」って言ってるから基本的に人間のことを信用してない、というか信用できなくなってる。「猫を裏切るなよ、猫はいつでも人間を見ている」の"猫"は蓮池自身のことで、何度も裏切られてきたからこそ絞り出された言葉なのかも。


これが私なりの解釈。


それでここまで考えてきて分からないことが2つあって。

まず1つ目は猫にされてから墓に埋められるまで。ミイラにするってことは多分死体を埋めてるんだと思うんだけど、猫にされたらすぐに死んでしまうようになっているのか、それとも蓮池さんに殺されてしまったのか。

私の希望的観測からすると後者だけど、死ぬことによって蓮池とクモ自身は長生きできるわけだから全然前者もあり得る。(前前前世みたいになってしまった)


そして2つ目。最後の場面でクモの横に置かれていた猫の置き物。これはどういう意味合いがあるんだろうか。供養的なことなのかなと思ったけど少年を猫にしてその猫の死体を猫塚に埋めてミイラにしてるのになかなかのサイコパス。怖。



考えれば考えるほど、クモは情報通だからはじめ蓮池が猫導神社の御守り渡してるときに「何か猫と縁でもあるのか」って言ってる時点でもう蓮池とクモの中で神田くんがターゲット(というと聞こえ悪いけど何にしろ条件が合う人と見定められてる)になってるのかなとかも思えてきて怖くなってきた、最初から怖いけど。

し、クモと蓮池の関係まで気になってきたからパ○ビでクモと蓮池の友情ストーリー(まず友だちなのか?)を独占配信してほしい。(混乱)


次に、『蜘蛛の糸』と『クモの糸』を照らし合わせてみる。


御釈迦様が蓮池のふちを歩いてるところから始まる『蜘蛛の糸』。ここから『クモの糸』の蓮池(人名)は『蜘蛛の糸』の御釈迦様で、蓮池のふちは少年院と外の世界の間にある壁ってことが読み取れる。だからはじめて神田くんが外に出たときそこにはクモを抱き抱えた蓮池がいる。

名前からカンダタは神田。

表記が"蜘蛛"から"クモ"になったのは単純に『蜘蛛の糸』での"蜘蛛"が猫の"クモ"になってるから。

カンダタは一度蜘蛛を助けたことによって"蜘蛛"の糸がカンダタの上に垂らされる。神田くんも一度猫を助けたことによって"クモ"の糸に導かれる。

ここで気になったのが、『蜘蛛の糸』では

そうしてそれだけの善い事をした報むくいには、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと御考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠ひすいのような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮しらはすの間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下おろしなさいました。

ってあるように蜘蛛の糸をおろしたのは蜘蛛ではなく御釈迦様だということ。だからこれまでの推測と合わせると『クモの糸』で糸を準備したのは蓮池なんだろうなと思う。

あとここで"この男を地獄から救い出してやろう"と御釈迦様が考えてるから、蓮池も少なからず神田くんを助けてやりたいっていう気持ちがあったはず。


蜘蛛の糸』ではカンダタが1人でのぼってるときもカンダタに続いて大勢の罪人が登ってるときもまったく切れなかった蜘蛛の糸が、カンダタが独り占めしようとした瞬間切れる。"自分だけが地獄から抜け出そうとする無慈悲な心"がその原因って明記されてるから、『クモの糸』でも寄り道したことが問題なのではなく(まあそれも一因というかそれが誘惑に負ける過程で)、犬山を含め仲間(仲間ではないかもしれないけど)というか他人を思いやらず優しさを忘れたことが問題なんだろうな。

蜘蛛の糸』では切れていた糸。『クモの糸』では糸が切れるのではなく、クモに凝視されてモスキート音のような音が聞こえてから力が抜けたように神田くん自身が糸から手を放してる。ここで猫になる何かをかけられたからなのか、驚いたからなのか、はたまたやっと自分の愚かさに気づいたからなのか。それは分からないけど、次に目を開けたときには辺りは真っ暗になって全裸になって周りには誰もいなくなってるから、猫になる何かをかけられたんだと思う。



あと、神田くんはおばあちゃんをきっかけに外に出て、おばあちゃんをきっかけに寄り道するようになって。全部きっかけはおばあちゃんで、根本にはずっとおばあちゃんがいる。その曲がらない一本の軸がしっかり通ってることで神田くんの人物像が知れてよかったな。




話変わるけど、文豪少年が発表されたとき「現代的な視点から映像化」ってどういうことなんだろう、って思ってたから、なるほどそうきたか、となった。


私もあるけど、その時の状況を物語に見出してみたり、その時に欲しい言葉を物語に求めてみたり。そういうのってよくあることだと思う。


OP含めブックカフェでは時空が歪んでるような演出があって。このブックカフェは一冊の本を読んでその読んだ人(ブックカフェに訪れた人)の解釈(これが劇中のドラマ)を聞くっていう場所なのかなと思うから、現実世界と物語の世界が一体化された、現実世界を物語に持っていきつつ、現実世界で物語を解釈してる感じ。全然うまく言語化できないけど。


蜘蛛の糸』と『クモの糸』は同じ作品ではないし、"『クモの糸』は『蜘蛛の糸』のリメイク"と一言で表せられるものではないけど、受け取り手に伝えたいこと、伝わることは同じだなと思った。


蜘蛛の糸』『クモの糸』、2つの物語から伝わるのは"我利我利では本当の幸せは掴めない"ということ。





くろだくんの初出演ドラマ、初主演ドラマ。すごくすごく引き込まれたし、すごくすごくおもしろかった。


くろだくんが「絶対に忘れられない作品になった」って言ってたけど、私にとってもこの『クモの糸』は絶対に忘れられない作品になった。


未来は変わるけど過去は変わらない。くろだくんの初出演ドラマ、初主演ドラマが『文豪少年』であり、『クモの糸』であることは変わらない。


『クモの糸』が何年経ってもくろだくんにとって素敵なものであり続けますように。


2021.3.22